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元・散文家のブログ 人里離れた場所で「王様の耳はロバの耳!」と言うためのブログです。
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うるせえ黙れって言いたいのをぐっと我慢し続けている。
ずっとこんなのがつづくのかと思うと頭おかしくなりそう。
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今年はまだ4か月しか終わっていないけど、もう12か月分どころか数年分くらい色々とありすぎた。

プライベートでも仕事でも事が起きまくって、さすがに疲れた。

心が折れる……まではいっていないけれど、ひびくらいは入ったかもしれない。

十数年やってきたことに何の意味もなかったのかな、とか思ってしまった。

しんどすぎて、なんかちょっと自棄になっていたら、「かまってちゃんみたいだ」と言われ、確かにと反省もした。

まあ、諦めたらそこで試合終了ですよと昔の偉い人も言っているので、そのうち復活はしたい。

したいけれど、ちょっと……疲れた。

少し休憩しようかなと思う。

またどこかで。

プロの、それもけっこうなベテラン作家さんが、

「小説にはコストがいらない。書いた原稿が没になったところで、何のマイナスもない」

というようなお話をされているのを聞いた。

個人的には、にわかにはうなずきがたく、かと言って頭からその意見を否定するほど小説のなんたるかを知っているわけでもない。

ただ、原稿を書くために使った時間をコストとして計上していないのが気になる。

あくまで個人的な感覚だが、

自分が一か月かけて書いた原稿が没になったとしたら、一か月間ただ働きをした感覚になる。

没になること自体は、プロとして求められたクオリティに達することができなかったということなので、厳粛に受け止めるしかない。

だが、だからといって、とてもではないが「何のマイナスもない」なんて言えない。

そう考えてしまうのは、自分が浅ましいからなのだろうか……。


「自分の作品は万人受けしなくていいんです」
「万人受けするつもりで作ってない」

とか言うひとに出会う。

でも、万人受けってなんだろう?

万人受けというのは、

例えば、いちごを作っているとする。

そのいちごが、
いちごが好きなひとにも、
みかんが好きなひとにも、
りんごが好きなひとにも、
すいかが好きなひとにも、
それぞれ50%ずつの支持を得られる。

これが「万人受け」なのだと思う。

では、「万人受けしない」とはなんだ。

作っているいちごが、

みかんが好きなひとにもりんごが好きなひとにもすいかが好きなひとにも受け入れられないが、
いちごが好きなひとからだけは100%の支持を得られる。

ということではないだろうか。

これを勘違いして、
いちご好きなひとから50%の支持が得られればいい、などと思い出すと、
それは単に「駄作」「人気のない作品」だ。

勘違いされやすいが、「万人受けする作品」より「万人受けしない作品」のほうが難しいのだ。

しかも、「結果的に」万人受けしなかったが、一部のひとから熱狂的な支持を得たというケースのほうが多く、最初から万人受けしなくていいなどと言っては、それは読者のほうを向いていない自己満足のためだけの作品に成り下がるのではないだろうか。
今の時代、よっぽどのことがない限り、誰かに強制されて選択の余地もなくその仕事に就いた、というひとは少ないと思う。

自分の意志で職を探し、自分の意志でそこを(それを)選んで、仕事としているはずだ。

この時点ですでに、「やりたくもない仕事をやっている」なんて通用しない。

なのにどういうわけかクリエイター系(特にエンターテイメント系)の仕事ばかりが「好きなことをするだけで金をもらっていて気楽そう」とか言われるのだろう。あまつさえ「好きなことやれてんだから金なんかいらないだろう」とまで言い出す輩がいる。

あなたは、自分の意志で選んだ就職先ならお給料もらえなくてもいいんですか?
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