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元・散文家のブログ 人里離れた場所で「王様の耳はロバの耳!」と言うためのブログです。
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全国約40万人の保育士さんの内、男性の割合は4%だそうだ。

とすると、
およそ38万4000人が女性で、
1万6000人が男性ということになる。


雑な計算で申し訳ないが、
仮に、幼児に欲情するような変態の割合を0.001%だとした場合、

男性には16人
女性には384人の変態が存在することになる。

巷で喚かれるように「女性は男性より性欲が少ない」という意見を取り入れて、女性の変態の割合を10分の1にしたところで、38人。

実に男性の二倍以上の変態がいる計算になってしまう。
なので、
世の親御さんたちは、警戒をするのならば、男性ではなく女性保育士を警戒するべきである。

……とかいう結論に至ってしまうのだが、本当にそれでいいのか。

「男性保育士に子供の世話をしてほしくない」とのたまうひとは、本当に性差別ではないと言えるのか。
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「自分の作品は万人受けしなくていいんです」
「万人受けするつもりで作ってない」

とか言うひとに出会う。

でも、万人受けってなんだろう?

万人受けというのは、

例えば、いちごを作っているとする。

そのいちごが、
いちごが好きなひとにも、
みかんが好きなひとにも、
りんごが好きなひとにも、
すいかが好きなひとにも、
それぞれ50%ずつの支持を得られる。

これが「万人受け」なのだと思う。

では、「万人受けしない」とはなんだ。

作っているいちごが、

みかんが好きなひとにもりんごが好きなひとにもすいかが好きなひとにも受け入れられないが、
いちごが好きなひとからだけは100%の支持を得られる。

ということではないだろうか。

これを勘違いして、
いちご好きなひとから50%の支持が得られればいい、などと思い出すと、
それは単に「駄作」「人気のない作品」だ。

勘違いされやすいが、「万人受けする作品」より「万人受けしない作品」のほうが難しいのだ。

しかも、「結果的に」万人受けしなかったが、一部のひとから熱狂的な支持を得たというケースのほうが多く、最初から万人受けしなくていいなどと言っては、それは読者のほうを向いていない自己満足のためだけの作品に成り下がるのではないだろうか。
作家漫画家アニメーターほかにも俳優アイドルタレントはては風俗関係まで「ひとに娯楽を与える側」のひとたちを見る目には、「俺たちはこんな苦労してるのに、あいつらは楽して稼いでる」があるような気がしてならない。
今の時代、よっぽどのことがない限り、誰かに強制されて選択の余地もなくその仕事に就いた、というひとは少ないと思う。

自分の意志で職を探し、自分の意志でそこを(それを)選んで、仕事としているはずだ。

この時点ですでに、「やりたくもない仕事をやっている」なんて通用しない。

なのにどういうわけかクリエイター系(特にエンターテイメント系)の仕事ばかりが「好きなことをするだけで金をもらっていて気楽そう」とか言われるのだろう。あまつさえ「好きなことやれてんだから金なんかいらないだろう」とまで言い出す輩がいる。

あなたは、自分の意志で選んだ就職先ならお給料もらえなくてもいいんですか?

私見を言えば、スポーツ(ゲーム)ものにおけるルールとは、お話を楽しむためのハードルでしかないと思っている。

知らないスポーツのルールブックを見て楽しいと思うひとはそう多くないと思う(このスポーツをやってみたら面白そうだなと思うのとは別)。

とすれば、スポーツものにおけるルール解説のページは、好意的に解釈しても「必要悪」だ。

すごく面白かったけど、最後まで読んでもルールはまったくわからない。
とか、
作品は面白いけど、そのスポーツをやろうという気にはならない。
というのは、作品にしてみれば最大の賛辞だと思う。

「スポーツものの魅力」と「スポーツの魅力」はまったく別のものなのだ。

作家が描くべきは前者であって、後者に関してはスポーツ選手やスポーツライターにお任せするべきである。


ちなみに、「登場人物の複雑な背景」とか「特異な世界観」とかも同じ。

これを理解してくれれば面白い。
というのは、作者の甘えだ。

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