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元・散文家のブログ 人里離れた場所で「王様の耳はロバの耳!」と言うためのブログです。
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骨を1本折って痛がっているひとがいると、「世の中には2本も3本も骨が折れたひともいるんだ。その程度で痛がるなんてけしからん」と言い出すひとがいる。

「けしからん」「痛がるな」というのもおかしな話だと思うが、よりにもよって「3本折ったひとでもそんなに痛がっていなかった。そんなに痛いはずがない。うそつきだ」とまで言い出すひともいる。

たいてい骨を折ったこともないひとが言うのが不思議。

痛いものは痛い。
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「〇〇(職業、年齢、性別、所属、身体的特徴、社会的背景など)という特徴」を持った人物が主人公、あるいはその人物を中心として話が進むタイプの物語があるとする。

すると、必ずと言っていいほど、実際に「〇〇という特徴」を持ったひとがあらわれて、その話に意見をする(医療ものなら医者が、など)。

それが否定的意見だった場合、多くみられるのが「〇〇はこんなことしない。こんなことを考えない」という意見。
ありえない、非現実的だ、というわけだ。

お話の中核である「〇〇という特徴」を持った人物の意見であるため、有無を言わさず納得させられてしまう感もあるが、実際には「その人物の意見」でしかなく、同じ特徴を持とうがなんだろうが作中人物ではない。


的確な意見を言っているように見えて、実は的外れなんじゃないの?

周りの評価にかかわらず自分の好きなものを好きと言えることは大事だ。
「お前らがどう思おうと知ったことか。俺はこれが好きなんだ」
とはっきり言えるひとは恰好いいとも思う。

だがそれは、他人の理解も共感も求めないということを前提としている。
求めた途端、傲慢になる。
なぜそれが好きなのかを知ってもらい、一緒に好きになってもらうのはいい。だが、はっきりものが言えるひとは得てして自分の中の正義感が強く、周囲に目を向けていない。

俺は理解なんて求めてない、そう言った口でこうも言う。
「お前らがどう思おうと知ったことか。俺はこれが好きなんだ。だからお前らもこれを好きになれ」

横暴で、傲慢だ。

「今日はお出かけだから、寒いけどがんばってストッキングはいてきたよ。穴があいてるヤツ」


最後の情報はいりません。

「鏡餅って鏡開きまでに用意すればいいんだよね?」


開くだけ……だと!?

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